「空気」を固め読みのテーマにして、これまで、スゴ本「「関係の空気」「場の空気」」をはじめ、多くの空気本を読んできました。本書は、あちこちの空気本で空気本の古典として引用されていたことから、読んでみました。
本書の構成は以下のとおり
「空気」の研究
「空気」の研究
「水=通常性」の研究
日本的根本主義について
「あたりまえ」の研究
T.指導者の条件
U.世論というものは
V.国境をでれば
「空気」の思想史
対談 「空気」が「ドグマ」にならないために
解説 山本さんの四つの世界
「空気」を分析・読解し、変化させるための視点として、以下は覚えておきたい。
われわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準のにもと生きているわけである。そしてわれわれが通常口にするのは論理的判断の基準だが、本当の決断の基本となっているのは、「空気が許さない」という空気的判断の基準である。
決めているのは論理じゃないのだ。
昔から日本は空気で動いてきたが、その空気に対し、全く無抵抗だったわけではない。
明治時代までは「水を差す」という方法を、民族の知恵として、われわれは知っていた。
具体的には
ある一言が「水を差す」と、一瞬にしてその場の「空気」が崩壊するわけだが、その場合の「水」は通常、最も具体的な障害を意味し、それを口にすることによって、即座に人びとを現実に引き戻すことを意味している。
「水を差す」という行為は勇気がいる。空気を読んだ上で、おかしな方向に行きそうになったら、あえて「水を差す」。最近、この役割を担うことも時々あったなぁ〜。難しく、リスクもある役割だけど、この役割がないとおかしな方向に行ってしまう。頑張ろう。
ただ、「水を差す」だけでは、空気を壊すだけで、建設的ではない。壊した後で、次の空気を作れるか、それが課題だ。
それにしても、この表現は上手い。
日本人は「情況を臨在感的に把握し、それによってその情況に逆に支配されることによって動き、これが起こる以前にその情況の到来を論理的体系的に論証してもそれでは動かないが、瞬間的に情況に対応できる点では天才的」という意味のことを、中根千枝氏は大変面白い言葉で要約している。「熱いものにさわって、ジュといって反射的にとびのくまでは、それが熱いといくら説明しても受け付けない。しかし、ジュッといったときの対応は実に巧みで、大けがはしない」と。
指導者の条件も、今、テーマとしているチームのメンバーや他部門とのコミュニケーションに役立つ内容が書かれており、勉強になった。
しっかり話しを聞き、相手の論理に一旦のって、そこから・・・、とこの先は読んでのお楽しみということで!


